#02 内なる神秘にまかせると

人生を決定づけることになった少女時代の神秘体験と、夢見のシンボルに至るお話です。#01と#02は『ヘナチョコ神秘学』の動機となる重要号です。
岩倉ミケ 2021.10.26
誰でも

 前回の#01(創刊号)では、ヘナチョコ神秘学は、万物との個人的なつながりを考察して体感していくことがテーマだとお話ししました。また、本音と建前についての洞察から、京都タロットのイザナミとイザナギのカードについて解釈をさせていただきました。お楽しみいただけましたでしょうか?

 創刊号はお知らせの意味もありますので、だれでも読むことができる設定にしています。まだ、ご覧になっていない方は、こちらのページよりどうぞ😊

※追記:この#02号も、ニュースレター発行の動機の部分ですので「誰でも」設定に変えました。お楽しみください✨

 あくまでもニュースレターで読み物ですので、単にお知らせではなく、できるだけ読み応えがあって、1話1話、ちゃんとお腹がいっぱい?になるものを目指しています。ワクワクしてご覧いただけましたら、筆者としては、すごくありがたく嬉しいです✨

少女の頃、生まれ変わったあの朝のこと

 さて、改めまして……私は本当にこのテーマが好きで、(誇張ではなく)夜通し探求に明け暮れていることが多いです。夫に聞いてみてもらえればわかります。明け方まで「何か」に勤しんでいる妻。「何してるんじゃ?」とか「早う、寝なあかんで」などと声を掛けても、ニヤリと笑うだけの妻に呆れ顔ではありますが。

 なぜ、私はシンボリズムや神秘学に、ここまで夢中になってしまったのでしょう?

 これが要因かも?という事柄について、昔、本の中に書いたことがありますが、最初にちょっと触れておきたいと思います。

***

 さかのぼること40年前になります。13歳の秋のことです。確か11月半ばごろだったと思います。私ははじめての失恋を経験しました。

 トランペットを吹いていた同じ部活の男子。手も触れたことのない淡い恋でしたが、その子とは手紙を交わしたりして、気持ちを通わせていました。あまりに遠い昔なので、詳しいことは忘れてしまっていますが、「両想い」状態の日々は、少女の心を幸せで満たしていたように記憶しています。

 そんなある日に、友だちを介して「嫌いになった」と言われました。彼の中で、何が起こったのかは知る由もありませんが、私はショック過ぎて、涙も出ないような状態が2、3日続きました。しばらくの間、胸の中にどんよりと重い雲を飲み込んでしまったような感覚が残り、モヤモヤと気持ちが悪いので、ある日、お風呂の中で無理やり涙を出そうと試みたのですね。

 ううぅ……と泣き始めると嗚咽が始まり、今度は止まらなくなりました。こんなのを家族に見つかっては嬉しくないと思って、急いでお風呂から出て、布団の中に潜り込んだように記憶しています。

 泣きはらし、そのまま眠ってしまい、明け方にいわゆる「金縛り」に遭いました。今でこそ金縛りなど慣れっこで、不快ではあっても、あまり恐怖感などありませんが、その時は生まれて2度目の経験。恐怖で震えました。

 腰と頭に巨大な手が乗せられているような感覚があり、耳元で、呪文のような言葉がぶつぶつと唱えられている声が聞こえてきたのです。今の私なら、むしろ何を言っているのか聞いてやろうと耳を傾けもするのですが、その当時は怖くて怖くて、時が過ぎていくのを、震えながら待つことしかできませんでした。 

 実際は、たぶん1分にも満たない時間だったと思います。金縛りは去り、私の体のこわばりは緩みました。ホッとして、また眠りました。

 世界が変わったのは、その眠りから覚めた朝のことでした。

 大げさではなく、あたりがキラキラと輝いて見えました✨✨

 何を見ても、何を聞いても、ただただ美しい……。 

 いや、実際は、何も変わらないのです。

 でも、おはようと言う家族の声も、蛇口から吹き出す水の音も、いつもとは全く違って聞こえました。弾けていて、幸せそうで。その朝、手に取った歯ブラシでさえ、私には、無二の友に見え、輝いているのです。私は、それをつくづく眺め(これは、私のためにやって来てくれたんだ!)と、静かに興奮していたことを、今でもありありと覚えています。

 そう、すべてに生命が宿っているように見えました。……いいえ、こういう言い方は、厳密ではありません。すべてに命が宿っているのを、直接「見た」……そんな感覚でした。万物は、無機質なものも含め、すべて「生きていました」。

 大人になって冷静になってから、その時のことを説明するのに、こうやって言葉を尽くしていますが、その頃は、何が起こっていたのかは、まったくわかりませんでした。そして、その只中にある時には、それがなんだったのか、どういう意味があるのかについて、客観的に、冷静に、知ろうとする欲求も起きませんでした。

 一言でいえば、「なんか知らんけど、幸せ〜✨」

 これだけでした。笑

 1981年11月22日の朝のお話です。(ずっと23日だと言っていたのですが、11月23日は祝日なので、記憶とのズレがあります。今となっては、どっちでもいいですが。笑)

至福感が消えて

 信じられないことに、この多幸感の状態は、その後ほぼ5、6年間、私の思春期の間中、すっぽりと包まれたように続きました。

 振り返れば、当時、家庭では弟がグレて、母がヒステリックに悲嘆に暮れていたり、けっこうたいへんな状況でしたが、私はとても幸せでした。何も問題はないということを全身で「わかって」いましたので、弟がグレていることより、両親が、そのことを特別に問題視していることの方が違和感だったことを覚えています。あの頃は、うまく表現できませんでしたが。

 多感な思春期、ちょうど反抗期に突入しかけていたころでしたが(当時の私には母は怖い人でした)、例の事象を境に、嫌いな人が一人もいなくなるという精神状態にありました。一度、正面きって「ミケちゃんのことが嫌い」と言い放った同級生の女の子がいましたが、それに対しても負の反応は全く起こらず、(私が、Xちゃんのことが好きなら、なんの問題もない)と思っていられました。

 いや、こんなふうに言語化もできていなかったけれど、あえて言葉にするなら、そんな感じでした。だから「そっかー」と言うだけで、相手を嫌いになったり、かといって、自分が悪いとも思ったりもせずに、単に、それだけのことでした。

 テレビで凶悪なニュースを見たときも、犯罪を犯した人でも、もともとは、あの光り輝く歯ブラシや水道の音や、自分や周りのすべての人と同じものだと感じていたので(この人は、たまたま、そんな役をしているんだろう)という感じで眺めていました。すべてが生きていて、この「生」なるものは、死んで消えるわけではないのもわかりました。

 こうやって文章で著わすと、なんだか「真面目な」感じに映るかもしれませんが、なにせふつうの女の子でしたから、実際は、もっと能天気なもんだったように思います。

***

 19歳のある時、友人に対して、強く憤りを覚えた出来事があって、それを自覚したとき、あの至福感が消えてしまっていることに気づきました。

 私はそのとき、友だちへの憤りより、「あれ」がなくなってしまったことの衝撃が強く、その感覚を意識的に呼び寄せようと、何度も試しました。ある瞬間、成功するのですが、続くことはありません。

 持続的に、あれに留まるには、どうすればいいのか──?

 本当の意味で、私の精神遍歴は、ここが出発だったと思います。決着が着いたのが、2015年6月10日なので(←いちいち日付を覚えている……笑)、思えば25年、もがき続けていたように思います。特に、後半の3年くらいは、とりつかれたように願っていたので悶絶級の苦悩でした。(^_^;) この日のことは、また改めて書くこともあるとは思いますが、この話は、いったんここで終わります。

神秘学に至るまで

 話は前後しますが、私は小学5年の時に『アンネの日記』から影響を受けて、ずっと日記を書き続けています。その中で、神秘学への重要なファクターになっていたのが、夢日記です。少女の頃は、特別に夢だけを抽出した日記を書いていたことはないのですが、日記の中に、夢見を織り込みながら書いていたように思います。

 私にとって、夢見はとても印象的で、鮮やかなものだったから、少女時代はそれを控えていたにすぎませんでしたが。

***

 さて、先の話の続きです。

 その後、私は人並みに恋もしました。わりとガッツリ人を好きになるタイプで、すべてに優先するものが、好きになった男性だったような……笑

 そういや、恋愛中は、探求の方はいったん反故と言いますか、そんなこと、どうでも良くなっていたように思いますね。しかし、大好きな人と結婚をして、一緒に暮らすようになると(もちろん、幸せでしたけど)、ふっと頭をもたげてくるのです。あの究極の願いが。

 私は失ってしまった、あの至福感を再び呼び戻そうと、結婚後まもなく試行錯誤が始まりました。本屋や図書館で宗教系のものをあれこれ漁りましたが、ほとんどが道徳的な内容でまとめていて、私が求めているものでは全くありませんでした。(もちろん道徳が悪いわけでは全然ないのですが……)

 当時は、まだスピリチュアルという言葉も日本人で使っている人はほとんどいないような時代。心を扱っている本は『宗教』『心理学』のほか、トンデモ系も含めて『精神世界・ニューエイジ』という棚に並んでいました。チャネリング本なども少し出始めていて、そこに書かれていた話は、直接に至福感のことでなくても、感覚が共有できる心地がして「うんうん、そうそう!」と思いながら読み漁っていたように思います。乾いた喉に、水が染み入るような読後感でした。

 しかし、「あれ」を知るのは、私にとって「私」だけ。それだけは少女の頃に、明らかに「見て」しまったので、どんな素晴らしい師や教えであっても、自分の外側に存在する何かを求める気持ちにはなれませんでした。

***

 そこで、思いついたのが「夢見」でした。自分の夢ならうそがなく、「私」の内なるものがそのまま現れたサイン。もともと夢見は鮮やかで、はっきり覚えていることが多かったので、夢を改めて記すことは、それからの日常を、本当に楽しくワクワクさせる作業となりました。

最初の夢日記群。当時ドリームワークノートと題している。'93 4/27が初めの1日。
最初の夢日記群。当時ドリームワークノートと題している。'93 4/27が初めの1日。

 同時に、夢見のシンボルに関する本を、あれこれと読みながら夢分析を行うようになりました。(オススメ書籍など、そのうちお知らせしますね)

 やがて気づくようになったことが、夢に現れるシンボルは、具体的な体験や、意識的に覚えた物事はむしろ少なく、知らないモチーフ、知らない人、知らない場所、知らないストーリーの方が、ずっと多いということ。支離滅裂に見えても、注意深く調査すると、何らかのメッセージを受け取れる夢もまた多いこと。

 さらに、神話や民話の主人公やモチーフを連想させるものも、夢見の定番だとわかってきたのですね。

 そんなことを総合すると、夢見というのは、どうやら潜在意識と呼ばれている、深い層とつながる何かだと推察できたわけです。自分の知識には全くない神話の物語やシンボルが現れるのですから。

 私の夢見探求のスタイルは、次第に、夢見を分析する方式から、夢見自体に教えてもらう方向に変わっていきました。夢見を体験していることが、そのまま神話を再現しているということを発見し、それは、目覚めてからも続いているのかもしれないと、思い当たるようになりました。

 そう、これが、象徴学・シンボリズムと呼ばれるものです。現れ出ているシンボルは、潜在意識・民族的無意識という領域からのサイン。この領域は、無意識下ですべての人と共有されているもの。象徴学は、サインの現れる仕組みを解明したり、サインを読み取ろうとする試みなのですね。

 私の場合は、シンボリズムという学びから入ったわけではなく、こんなふうに、そうとも知らずに、たどり着いていました。これは、あの光に満ち満ちていた、少女時代の心の状態を呼び起こしたいとすることからは、かなり逸脱というか、脇道に逸れてしまったわけなんですが、ずいぶんと興味深い逸れ方をしたものだと思います。

 以上が、簡単になりますが、私が神秘学・象徴学に魅せられるようになっていった過程についてのお話でした。

 お楽しみいただけましたか?筆者としましては、続きが気になるように、閉じたいところではあります。はい😊

 これからもヘナチョコ神秘学では、いわゆる既存の学問としてではなく(いや、そもそも神秘学って時点で既存ではないですけど……^^;)自ら発見し、推察し、さらに発見していった宙や神話の物語を縦横無尽に語っていきたいと思います。

 ある意味、ちゃんとトンデモ系で(笑)、読み物としてもうんと楽しんでいただけるものを書いていきますので、ぜひ、シェアしていただけましたら嬉しく思います✨

 次号は、今週の金曜日の予定。今週は2回も配信するよ〜♪

 

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